公開: 2023年3月24日
更新: 2023年3月24日
ガンジーは、若いころ、アフリカで医師をしていました。当時、南アフリカやインドは、イギリスの植民地でした。現地の人々は、貧しい生活に苦しんでいました。その反面、イギリス国内の人々は、産業革命の成果によって、豊かな生活を享受していました。それは、イギリスが植民地から得た富を独占できていたからです。
インドに帰国したガンジーは、インドの人々を豊かにするためには、イギリスのインド支配を放棄させなければならないと考えるようになりました。当時、インドでは、独立を訴えて武装蜂起すべきと考える人々がいました。しかし、カンジーは、インドには、武装蜂起ではなく、暴力を使わずに独立を勝ち取ることが必要であると主張しました。
ガンジーの非暴力主義は、宗主国のイギリス政府が武力を使ったとしても、独立運動をしているインド人は抵抗をせず、戦わないやり方を続けました。その結果、ガンジーたちは、インドの独立を勝ち取りました。しかし、当時のインドの社会には、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒がいたため、それまでインド社会を統治していたイギリスの力がなくなると、宗教的な対立か深まりました。
インド社会は、独立後、ヒントゥー教徒社会のインドと、イスラム教徒社会のパキスタンに分かれて独立しました。その後、パキスタンの一部であった東パキスタンは、バングラディシュとしてパキスタンから独立しました。